遊備忘録

ここで泥を吐き出すことによって日常生活を保つことができます

大人とは?#2

 

パスワードを忘れるほど久しぶりだと思ったら意外と一ヶ月しか経っていなかった。

 

新しい環境というだけでストレスがかかるのに、アシスタントは思っていたよりも過酷だった。

 

 

まあ今日はそんなことはどうでも良く、最近の頭の中について整理しようと思う。

 

 

気づけば24になり、じわじわと大人の仲間入りをしてきた。

 

 

上からは「まだまだこれからだね」と言われ、

下からは「しっかり大人ですね」と言われる

なんとも居心地の悪い年齢だ。

 

年齢を考えている時点で自分の思考は浅いな、と書きながら反省している。

 

 

今日は「大人になるってどういうことだろう」と2年ぶりに考えてみようと思う。

まずは2年前の答え合わせから。

 

lily-child.hatenablog.com

 

この時は今よりも早く大人にならなきゃ、と焦っていた。

でも、この時の焦りは必要な焦りだったと思う。

何者でもない自分を変えたくて、まず自分とはどんな人間かを知ろうとしてたのは良い選択。

あとは多分爪先立ちしないと成長しなかったと思うし、したから今の段階があるんだと思う。

でももっと言えば、爪先立ちよりもジャンプしてたらもっと上の段階に行けたかも、なんて。

まあ、この時の精一杯は爪先立ちだから仕方ない。

 

「周りの風速だけ変わって中の時間が止まってる感覚は直る?」

2年後には直ったっぽい。なんなら今の自分めっちゃ走ってる感じする。その点は良かった。

でもこの文章、今よりも更に自分に酔ってる感じしてきもい。

精進!次!

 

 

lily-child.hatenablog.com

 

「どうすれば興味関心が外側に向けられるようになるかという方法は模索中」

 

興味関心が外側に向けられるようになるには、
いろんな人と関わるしかなかったよ。

次!

 

lily-child.hatenablog.com

 

2024年4月では、黄色とピンクが好き。

すごくない?めっちゃ変わるよね???

なんでかは多分今からわかると思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

最近は大人になったというべきか、月日が経ったと自覚するタイミングが少し増えた。

 

その中の一つとして、特に感受性が落ちている。

 

これは正直歳だけではないことは分かっているが、

とにかく周囲に対する感度が下がった。

 

感情のメーターが以前は振り切れていたのに、

徐々に-100〜100、そして-50~50と小さくなっている。

 

自己防衛のために無意識に小さくしたというのもあるが、大変つまらない。

 

その分ありがたいことにまだ生きやすくなっている。

 

以前よりも許せなかったものが許せるようになった。

 

 

が、弊害として純粋に何が”良い”かが分からなくなってきた。

 

 

いろんなものを受け入れることができるようになったと同時に、

自分のこだわりが薄まってきた焦燥感がある。

 

以前のような感情の爆発も減ってきた。

 

全てを憂い、他者に対する憎しみも

世界が変わって見える高揚感も。

 

なんとなく憂い、

なんとなく気に入る。

 

このままでいいわけもない。

 

思い返せば、痛覚を失くさなければ耐えられなかったということもある。

 

生きる為に自分は正しい選択をしたのだと思う。

 

また、いつまで経っても感情を爆発させていては成長もしない。

 

 

服でもなんでも、まず増やしてから淘汰するという作業によって洗練されるという。

 

今年はその段階からまた増やしていきたい。

 

削って削って、新しく構築したい。

 

 

最近はそんな欲求が一周回って湧いている。

 

 

自称大人になって、以前よりも自分に良くなさそうなものを避けられるようになってきた。

 

買って使わなさそうな服、

行って良かったと思えなさそうな飲み会、

虚しくなるような食べ物、

これ以上無理をすると明日に響く外出。

 

 

その選択をする度に、

「大人になったな」と思っていた。

 

これは成長だと。

 

 

でも、それは本当に正しいのだろうか。

 

今からそんな丸まっていいのだろうか。

 

そんなこともっと大人になってからだってできる。

 

私はまだ、

流石に使い過ぎたと反省するほど買い物して

行かなきゃ良かった、と後悔する飲み会に行って

無駄なカロリーを摂ってしまったと自己嫌悪に陥り

次の日が辛いくらい夜更かしできる。

 

その可能性を「大人だから」で潰すほどまだ私は大人ではなかった。

 

大人とは、社会的意味における”子どもの自分”と”大人の自分”を適切なタイミングで選択し、出すことができる人間なのではないか。

 

 

最近の私的に大人とは?という問いに対する答え。

 

全然前に進んでないように感じても意外と進んでるのかもな〜

 

というか進んでてほしいな

 

いろんな人の「大人とは?」に対する今の答え、聞いてみたい。

 

 

退職

 

 

日時:2024/03/01 10:55

天気:久々に気持ち良いくらいの快晴

 

 

 

今日、退職する。

 

待ちに待った退職。

 

何度辞めたいと思ったか分からない会社をやっと辞める

 

年明けから絶望するほど長く感じたのに

最後の3週間は記憶がないほど一瞬だった

 

 

1年半という短い間だったはずなのに、

大学の5年間よりもずっと長く感じた。

 

 

円満に辞めることができて、本当に頑張ったと思う

 

 

今日を待ち侘びていたはずなのに

 

まだ夢の中なのか、いまいち実感が湧かない

 

 

辛かった。

本当に辛かった。

 

何が辛かったかと言われると

 

先輩や上司と合わなかったとか

仕事量が多いとか

土日まで仕事の連絡が来るとかではなく

 

自分をうまく使えていないという感覚だった

 

シンプルに自分の得意が使う場面がなく

苦手な部分ばかり必要だった

 

できそうでできない

努力しても全く成果が出ない

 

なんでこんなに私は下手くそなんだろうと悔しくて悲しかった。

 

夢の中の”走っても走っても進まない”あの感覚

 

1年半、ずっと悪夢の中にいたようにすら感じる

 

でも、周りには恵まれていた

 

仲間がどんどん増えていって、

好きな人もたくさん増えた

 

 

気づけば好きな人だけで囲まれていて、私は幸せものだった

 

でも、私は辞めなければいけなかった

 

自分の尊厳のために

 

 

いつだってやりがいは内部から湧き出るものであると思うから

 

 

人はいつかいなくなる

 

でも自分の”楽しい”は死ぬまで私と添い遂げてくれるから

 

 

 

退職まで、こんなに温かい言葉をかけてくれる人達がいて

 

辞めないでと止めてくれる人達がいて

 

私は間違っていなかったのかもなとも思える

 

 

私だって寂しい

 

毎日一緒に夜中まで仕事して、

みんなで励まし合って支え合った

 

もはや青春だね、なんて笑い合った

 

仕事の内容は苦手だったけど、皆と頑張る時間は好きだった

 

1人の時間は泣いたり落ち込んでばかりしていたような期間だったのに

周りの人のおかげで笑うことができた

 

 

命の恩人だ

 

相変わらず本当に辛い時は誰にも会えなくて話せなかったけれど

 

 

でも、それでももういいんだと思う

 

それはそれで自分の強さだったりするかもしれないし

 

 

自分の苦手で1年半戦った

 

それは私の強さだ

 

 

これからは得意で戦う

 

辛いことなんてこれからも腐るほどあるだろうけど

 

 

体も心もボロボロでも私は立ち続けられた

 

この経験はきっと私の血となり肉となる

 

 

まだまだ私の人生はこれからだよね

 

絶対に勝つ!

 

 

 

好きな人がいる。

 

それはかつて恋愛感情だった。

線香花火に火をつけて、すぐに落ちてしまったような気持ちの揺らぎ。

 

でも今は人として好きだ。

 

私はうまく恋愛が出来ない。

 

 

その人が少しばかり病にかかった。

 

名前のない心の病。

 

強いて言うならば、

自分が透明人間として見える病とでも呼ぼうか。

 

私はその人の苦しみを理解したいと強く思ったり

少しでも減らしたい、と切実に願った。

 

寄り添う、という正しい意味はわからないなりに寄り添うを体現しようと努めた。

 

その人の苦しみは普遍的なものだったように思う。

 

その時の私は、ただそばにいることしかできなかった。

 

 

私よりも近しい人はたくさんいて、

私が全く意味を成していないことは気づかないふりをして。

 

 

ただその人の苦しみを少しでもスプーンですくいたかった。

 

月日が経ち、状況も変わり続け、

その人は今、前よりも少し良い状況にいる

 

きっと私の思いは届くはずもなく、

きっと私と関係なく、元気になった。

 

そして今度は私がその病にかかった。

 

彼に症状を伝えると、

 

「わかる、そんなときあるよね」

 

とだけ返ってきた。

 

私は強欲だった。

 

どこかで「同じものを返してくれるかもしれない」と期待を持っている。

 

 

人の痛みを共有すれば理解し合えると。

 

やっとあの時の痛みを理解できた時にはもう要らなかった。

 

私はいつでも痛みを共有できない呪いにかかっているのかもしれないな、と

ぼんやり歩いた。

 

鼓動に合わせ、ズキズキと痛みをじっくりと味わいながら。

 

 

人は誰しも孤独から免れるなんてできなかったことを思い出した。

 

 

 

悪意

 

人生で意地悪をされたことが記憶にあまりない。

 

悪意を感じたらすぐに距離をとっていたし取れていた。

 

 

でも会社員になって、人間関係よりも損得を優先する人間や

自分と価値観が全く異なる人間とも逃げられなくなった

 

 

特に上の立場だと、後々のことが怖くて声すら上げられない

 

悔しくて悔しくて、

何度も歯を食いしばった。

 

気づけば歯がなくなっているんじゃないかと

 

 

 

でも、意地悪してくる人にすら私は嫌われるのが怖い

 

そういう性格に自分で吐き気がする

 

嫌なことは嫌、おかしいことはおかしいと声を上げることすらできない

 

じっと我慢してばっかりの自分が憎い。

 

 

外側からプライドを削られ、内側から自尊心を削る

 

掘削速度は内側が外側の2倍ほどになる。

 

 

私はこのまま進むと存在自体が消滅する

 

 

一刻も早くここから出なければ。

 

 

焦る自分にかけられるアドバイスこそ鬱陶しいものはない。

 

「早く転職しなよ」「辞めた方がいい」「もっといいところあるよ」

 

うるさい。黙れ。

 

必死にもがいて進んでいることを知らない人間が。

 

そんなこと一番自分が分かっている。

 

私と同じ経験をしたことがある者だけが石を投げろ。

 

意見を求められてないうちは他人に口出しするな。

 

 

でも分かったことが1つだけある。

 

 

私は自分の価値観の中だけでしか物を考えられない人間が一番大嫌いだということ。

 

果たして自分の思考は正しいのかと自問できない人間が。

 

 

 

見てろ。

私が私の人生を選択する。

 

この地獄から助けられるのは自分だけだ。

 

 

 

 

 

 

ゴーレム

 

賢い女になりたかった

 

知的で感情があまり表に出ない、意志の強い女になりたかった

 

物心ついた頃から、そんな女性に憧れていた

 

感情でものを話すのではなく、全て論理的で淡々と、たまにじっくり考えるような女になりたかったのだ

 

そのためにがむしゃらに勉強し、人格を修正し続け、考える時間を作るようにした

 

「頭が良ければ愛してもらえる」

 

そんなふうに解釈を直列つなぎにして

 

 

でも、なれなかった

 

私は感覚的で感情的でどうしようもなく馬鹿だった

 

 無理やり勉強しても知性は手に届かず、手に入ったのは徒労感と擦り切れた心身

 

 

どうなりたいか、ではなくどうあれば心地良いか、を考えられなかった

 

 

明るくもなく暗くもなく、

頭が切れるわけでもなく壊滅的に勉強ができないわけでもなく、

器用でもなく不器用でもなく、

男性的でもなく女性的でもなく、

論理的でもなく感情表現が豊かなわけでもない

 

 

中途半端な自分を認めて

中途半端を突き通す勇気を持てない

 

 

気づけば中途半端な性格の悪さと優しさを持ち合わせた人間になっていた

 

小さい頃は、ピンクのフリフリや花柄が大好きだったのに

周囲に溶け込むために嗜好を曲げてボーイッシュが好きだと思い込ませた

 

 

結果何が好きなのかよくわからない人間が出来上がった

 

ありのままを愛そうなんて美しすぎる思考は体に染み込まなくて。

 

 

いつになれば私は賢い女になれるのだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

メモ

 

寂しいと虚しいと辛いの間には名前のつかない感情がある

 

色は全て繋がっているのに、言葉にはグラデーションがない

 

だから表せない色があり、感情がある

言葉を色で表したら全て解決したりして

ex).今の気持ちは#087082

 

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贅沢とは何かを失って得るものであり、そこに薄らとした罪悪感が伴わなければならない。

 

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人はいつだって自分と違うものを愛する

そして憎むのは、自分が理解できないものである

 

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セフレの意義など

「人を好きになること」に困ったことのない人間が

わかるはずもなければ、わからないほうがいい。

 

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死にたい時に限って夜は長いし朝は早い

死ぬ前に美味しい白ワインを飲みたい

 

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タバコミニケーションが苦手だ。

リラックスしに行っているのになぜ皆話したがるのか、理解がまだ追いついていない。

 

傷を舐め合っているように見えるのは私だけなのだろうか。

 

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私にはエスカレーターの黄色の線をはみ出すことしか反抗する術を持たない。

 

 

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ハッピーエンドの小説しか好きではなかったのに、

気づけば読めなくなっていた

 

でも相変わらずバッドエンドは大嫌いだ

 

人生は完全悪なるものが存在しないように完全正義もまた存在しない。

 

終わりよければすべてよし、なんてことは死んでみないとわからないものだ。

 

だからこそ、本は人に寄り添える。

 

全く知らない、どこか遠い場所で生きている人の物語。

 

心地の良い無責任。

 

辛い時に効くのは上手な共感ではなく、他人の地獄に対する折り合いの付け方。

 

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「ありがとう」に!をつけることすらできない日に。

 

 

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この薬を飲みながら煙草を吸ってはいけない。

死の恐れがあるからと。

 

人間が皆生きたいと思っている前提で話しやがって。

 

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夜通しで飲まないと吹き飛ばない憂鬱。

夜通しで飲んだ後に必ずやってくる憂鬱。

 

そんな日は馴染めないと分かりつつもクラブの誘いを断れない。

 

自分のダサさを噛み締めニヤつく夜。

 

タクシーの運転手の娘自慢に救われて、泣いた。

 

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死にたい朝に読む文字

土曜

 

天井が見える。

また生きてしまっている。

スマホを見ると時刻はすでに11時。

 

このまま目が覚めなければどれだけ良かったことか。

 

 

脳みそは使い物にならない。

手を伸ばせば辿り着く現実逃避の世界になす術もなく引き篭もる。

一生作ることのないレシピ動画。

あったこともない誰かの食事。

好きだった芸人の切り抜き。

 

ただ風景として時間とともに流れていく。

 

 

16時。

気づけば4時間だっていた。

うっすらとした罪悪感を振り払うために外へ出る。

 

脳は音楽でどっぷり漬け、せめて新鮮な空気を送り込む。

 

景色を見ているはずなのに、なぜか見えない。

 

目で見ている景色が脳みそに信号としてうまく訳せずに、

景色がただただ流れていく。

 

自分が見ているのではないような感覚。

 

歩道の信号が青になっても、それを意味へ訳すのに時間がかかった。

 

この世に生きているはずなのに、全く脳みそへ信号が送られてこない。

 

おかしい。

 

これは私の身体なのか、五感が機能していないみたいだ。

 

私の意識はここの中にいない。

 

どこにいるんだろうか。

 

 

 

18時。

 

何か食べよう。

手っ取り早く得られる幸福を。

その食事はもはや自慰行為の一種である。

 

食べた後に必ず来る、

不必要な食事をとったことに対する罪悪感と希死念慮

 

 

幸福と希死念慮は常にハッピーセットなのである。

 

 

 

22時。

シャワーを浴びてベットに入る。

 

髪の毛を乾かす力などあるわけもなく、

びちょびちょのまま枕に敷いたタオルに髪を押し付ける。

 

 

スマホの世界に脳を漬け、時が止まったまま気づけば3時。

 

 

今日も死ねなかった。

明日はどうか来ませんように。

 

 

 

――

 

 

目の前にゴールテープが見える

 

最後の力を振り絞って駆け抜ける

 

ゴールと同時に倒れ込み、よくやったと安堵した。

 

呼吸が落ち着いてきた。

 

ゆっくり立ち上がると、再びピストル音が聞こえて反射的に走り出す

 

 

その繰り返しにうんざりして、一度レースから離れると

体の訛りが気になって不安になり、気づけばまたスタートラインに立っていた

 

 

誰かそのピストルを私の脳に打ち込んでくれないだろうか

 

 

――-

 

 

「頑張ればきっといいことがある。」

 

別にないね。

 

 

――-

 

自分の感情が分からなくなった。

 

悲しいのか苦しいのか楽しいのか嬉しいのか。

 

笑えなくなった。

 

心に錘がのしかかり私の感情を全て潰している。

 

この錘はどうすれば取り除けるんだろうか。

 

びくともしないこの重量は何から作られているんだろうか。

 

鉄?それとも

 

 

 

ーーーーー

 

生きるってなんでこんなにも難しいのだろう

 

周りを見渡せば、みんなここまで戦っているようには見えない。

見えないだけかもしれないし、そうではないかもしれない。

 

むくむくと湧き上がる死への憧れと日々闘い、

それをなんとか殺して今日を生き延びる

 

 

なのに次の朝はまた同じ姿で私の前に現れるのだ。

 

 

モグラ叩きのような日々に疲れ

もうゲームオーバーになれないかと考えながら生きることはもはや生と呼べるのだろうか

 

 

休みたい。

休みたいという願いは死と引き換えになるほどまで重いものなのか?

 

ひと時たりとも休んではいけないという情もクソもない現実。

 

ああどうか誰か私を殺して。

死ぬまで止まらないタイマーを止めて。

 

頭の中が狂気に蝕まれているのに。

その狂気を抑えて生きなければならない世の中は異常だ

 

もう力が残っていない。

 

自分が死にたい時に自分を殺すエネルギーが残っていない

 

 

死を悲しんでくれる人と助けてくれる人は必ずしも一致しないのだ。

 

 

――――――

 

「人生で一度も希死念慮を味わったことのない人間は信頼できない」

 

 

友人は明るい日差しの賑やかな公園でそう言った。

 

 

 

なんて清々しい日なのだろう。

 

 

ーーーーーー

 

誰かのための私を演じる。

 

やめられないのは自分の臆病さのせい。

 

 

この世界で私1人だけになれば、本当の私になれるかもしれない。

 

 

そして何の喜びもないまま死んでいくんだろう。

 

―――――――

 

交通事故の後、意識が戻った。

 

「なぜ、死ねなかったのか?」

 

 

そう思いながら意識が朦朧としつつ道路の真ん中で動く気にもならない。

 

 

このまま寝転がっていたら轢かれて死ぬのではないかという、ぼんやりとした恐怖と期待に胸を寄せる。

 

 

今までで1番気持ちのいい睡眠だった。

 

 

ーーーーーー

 

「暗い話はやめようよ」

 

 

「そうだね笑」

(私は別に暗いと思ってないんだけど)

 

ーーーーーー

 

 

 

死にたいと願った。

 

それを友人に伝えた。

 

 

きっとその時は意識があまりはっきりとしていなくて、

誰にいったかは覚えていない。

 

 

 

「じゃあ死ぬ前にお金全部使い切らないとね」

 

 

 

 

これが私のバイブルになった。

 

 

ありがとう、私の素敵な友人へ。

 

ーーーーーー

今、この文章を読んでいるあなたへ。

 

 

死にたい、と思うことはこの世の中でタブー視されている。

 

私たちはいつも居心地が悪く、ただ幸せになりたいだけなのに。

 

 

死にたさを共有することすら自由にできない。

 

 

だから私はここで吐き出しているのかもしれない。

 

 

誰かを救いたくて、自分を救いたいので。

 

 

「死にたい」なんていっちゃダメだよ、という忠告こそ無意味なものはない。

 

「おしっこしたい。」「ダメだよ。」

みたいなもんなのに。

 

私たちはいつでもその言葉を言う権利があるというのに。

(相手にとってあなたの「死にたい」が傷つく場合を除いて)

 

何にもわかっていない。

 

でも仕方ない、種が異なっているのだから。

 

 

結局、この世は孤独で埋め尽くされている。

 

いくら家族が仲良くても

大切な恋人がいても

仲の良い友人がいても

 

生かすのは自分自身しかいない。

 

自分のために食べて

自分のために寝て

自分のために考える

 

 

究極の利己主義でやっと私たちは生き延びることができる。

 

だからきっと”死にたい”を持っている人は、

自分のために生きていない人が多いのではないだろうか。

 

 

だから私は恋愛がトリガーとなる「死にたい」だけは絶対に許さない。

 

 

自分のために生きろ。

1人でいるよりも幸福になれるから2人でいるのに、

なんで不幸になっているのか意味がわからない。

それだけは許さない。

 

そして刹那の感情にとる突発的な死も怠惰だ。

 

死の感情と2年は向き合え。

 

それで自分のために悩んで自分のために死ぬのなら仕方ない。

 

 

 

ただ死ぬ時は持ち金を使い切ってから。

 

 

それをやり切るまで死ぬな。

 

 

じゃあまた今日も生きようか。