遊備忘録

ここで泥を吐き出すことによって日常生活を保つことができます

何者

 

最近のことについて話そう

 

まずは身辺整理から。

 

 

先日、人生初の大きな出来事があった

(公には言えない内容なのでここでは伏せておく)

 

それの影響によって自分自身の思い込みが大きく揺らいだ

 

具体的に言えば

この人はこういう性格だ、この人はこういう人だ、という視点は誰にでもあると思う

 

私は今までこれらのようないわゆる「人を見る目」があながち間違っていない、むしろ正確であると信じて疑わなかった

 

 

確かにあって数回目、と言った人に対しては「思っていたよりも違った」というケースはあっても、出会って何年目と言った人に対しては分かり合っていると思っていた

 

 

しかし今回の経験によってそれが果たして当たっているのかどうか、

という自分の判断が信じられなくなった

 

いつも一緒にいる家族に対しても、数年来の友人に対しても、全て自分の幻想にすぎないのかもしれないと思ってきた

 

実際答え合わせをする事は永遠に不可能である

 

従って私たちは常に「自分の見えている世界は自分のレンズを通した世界である」という自覚を持ちながら行動すればもっと世界が別のものになるのでは、と思った

 

こんな事は私だって百も承知であったが、耳にする事と意識しながら行動する事は別物である

 

 

しかしこのことに対して真剣に考え始めると正直怖過ぎる

 

私がずっと知っている友達も全く違う人間でわかっていると思っていたこと全てが自分の思い込みだったら、と言った具合である

 

これだけ聞くと若干ヒステリック気味か?と疑われるかもしれない

 

 

しかし一旦立ち止まって考えてみてほしい

考えれば考えるほど怖くなってくる、と思う

 

 

じゃあ実際に正解はと聞かれると当の本人にもわからないケースだって少なくないだろう

 

 

自分が何者か、なんてきっとすぐに答えられる人なんてごく少数だ

 

 

例えば私の場合

考え事することが癖です、とか

一人の時間も人と過ごす時間も必要です、とか

早寝早起きが好きです、とか特徴はあるけれど

 

一体今自分が何者です、とは言い切れない

 

 

 

この歳では「将来自分は何をしているのだろう」と期待と不安に胸を膨らませていて許される年代である

 

 

しかし今私が恐れているのは「自分が何者か見通しがついてきた年齢」になることである

 

 

仕事が安定してきた時、このまま自分は現状維持のまま老いていくのかと見通しがつく頃、

 

私はきっと、このままでいいのかといつもの癖が出ている気がする

 

 

将来の予測がついてきた時にいかに挑戦できるか、将来の自分を予測困難にするか

 

それこそが生きがいにつながるのでは、などと偉そうに考えております

 

 

 

10年後の自分がこれを読んで笑っていますように.