福島原発へ見学に行ってきた
動機に強い意志などはない
強いて言えば
「震災から10年」
そんなことを聞いてもどこか他人事に感じてしまう自分に後ろめたさがあったから
話では被災地も今ではほぼ復興していて、ボランティアも必要としていないと聞いていた
実際に福島に降り立った印象としても、長閑な田舎といったものだった
しかし空港には津波の到達高度ラインが示されていたり
移動中のバスから外を見ていると、不意に津波で破壊された建物が残されていたり
元々水田であった土地が手付かずになり、雑草で埋め尽くされていたり
一部に除染廃棄物が積み上げられていたりと
原子力発電所に近づくにつれ、少し殺伐とした印象を受けた
それでも何故かスクリーン越しに見ているような、他人事に感じてしまう自分がいた
福島第一原子力発電所に到着し、被曝量を調べる装置を渡された時に初めて原発にいるという実感と少しの恐怖を感じた
資料館などで説明を受けた後、バスで原子炉建屋に向かった
実物を目の前にし、その大きさに自分が想像していた縮尺と大きく異なっていたことにしばらく理解が追いつかなかった
原子炉から100mの高台から実物を見ることができた
そしてそんな近距離でも防護服は必要ないということが衝撃だった
それでもやはり実際に原子炉内などで作業されていた方は防護服を着用していた
説明の中で、防護服=被曝を防ぐものだとばかり考えていたがそれは違うとのこと
防護服の役割としては放射性物質が服や体に付着したり、体内に入ることを防ぐ役割であり
実際に放射線は通過するのだという。
その為被曝をなるべく抑えるには作業時間を少なくするといったことでしか対策出来ないということに放射線の恐ろしさを感じた
原子炉の大きさや一号機の露出した鉄骨やそこに堆積している瓦礫を見て初めて現実であったことを実感した
見学が全て終了し、初めに渡された装置から被曝量を見ると0.01mmSvと表示されていた
その量としては歯科医で口腔内のレントゲン写真を1、2枚撮るのと同じ程度だった
数値で伝えられてもさっぱり分からなかったが、とりあえずそこまで健康被害が発生していないことは理解できた
しかし結局放射線は目に見えない。
だからこそいくら言葉や数字で説明されても、一般人の私にはそれが本当かどうかなんて確認する術などない
被曝計量装置を手渡された際に感じた恐怖が素直な声だと思う
そしてその中で毎日作業されている方々に尊敬の念はもちろんのこと、その動機付けは何なのか非常に気になった
どれほど論理が通っていても、非関係者の「なんとなく怖い」という感情が風評被害を生み出す
だからこそただ理系的に「この数値だから安全」では風評被害は無くならないだろうな、とも感じた
パフォーマンスとしての”除染作業”も必要になってくるように感じた
「まずは震災について知ることが大事だと思いました」なんていうありきたりの薄いコメントはこれから使わないようにしようと思えた
所詮知ったところで直感やイメージ、先入観による肌で感じた恐怖を蔑ろにすることは不可能だろう
その感覚を理論でねじ伏せるのは難しいと思う
福島県はとても素敵な場所だった
今回私が見学したところで何かが変わるわけではない
けれど根拠のない満足感や良い経験だったと思えたことに価値があると信じたい。
2021/12/21