遊備忘録

ここで泥を吐き出すことによって日常生活を保つことができます

to be

 

自分が”ある”ことを意識できるのは鏡を見るときくらい

 

だから自分の外側に意識が向いてしまうのは仕方のないことなのかもしれない

 

 

自分にとって一番重要な存在が一番見づらいのは皮肉なものだと思う

 

 

そして気付けば本質が

 

自分自身ではなく「他人に見られている自分」にすり替わっていることもある

 

 

 

また原因が内発的なものも外側で探してしまう

 

 

 

地に足をつける意識がないとすぐに浮いてしまう

 

 

今月は今の所その意識づけをしている

 

本もたくさん読んで

 

考えて

 

行動に移す

 

 

けど少し無理をしてしまった気もする

 

もう少し楽にしたいけどバランスが難しい

 

 

SNSとの付き合い方も見直した

 

インスタはストーリーを安易にあげるのを一旦やめてみた

 

 

自分の為に撮っていたはずの写真が

ストーリーに流す行為によって

自己呈示と情報操作の目的にすり替わってきたから

 

(その分Twitterは気楽で良い)

 

 

けれど記録はやめない

 

写真を撮らないというのも惰性だし

 

写真は楽しい記憶を留めておくのに一番効果がある

 

こっそりとアーカイブから載せておく程度で

 

 

また気持ちが透明になったら上げてもいいし

 

 

 

 

食も取り扱いがとっても難しい

 

毎日当たり前にあることだからこそ余計に無意識だ

 

ストレスが溜まると顕著に食事にあててしまうし

 

 

つい楽な方に流れてしまうから気を今一度引き締めなければ

 

 

美味しいものは絶対妥協したくないから、

 

美味しいものを美味しく食べれるように

 

 

ちょっと下げることで上がった時に絶対値が大きくなるし

 

 

 

結局は全て本人次第

 

それは皆同じ

 

だからこそ大切な人が落ちているときに引き上げられるのは私ではない

 

私から見れば凄いのに、

見ている世界が上であればあるほど

辛くなるのは仕方のないことなのだろうけれど

 

その人が解決するしか這い上がれないと思うし、自分もまた然り

 

毎度手を貸す方法がないことにもどかしさを感じる

 

 

私は無力だな

 

私がいる、ということしか伝えられない。