遊備忘録

ここで泥を吐き出すことによって日常生活を保つことができます

如月

 

早くも三月に突入し、日照量が徐々に増えてきた

 

身体もようやく起きてきたような気がする

 

思い返せば二月が一瞬すぎて、自分が何もしていたか忘れそうになる

 

総評としてはここ最近で一番しんどかった月

 

せっかくの誕生日も病み散らかして、なんならむしろトリガーになってしまった

 

来年は今年よりも良い月になりますように

 

 

色々あったから頭の中を一つずつ整理していこう。

 

 

 

日記を見返すと、14.15あたりがピークなようだ

 

 

追い詰められると自分の視野が狭くなる

 

自分の世界の半径が1m以内のように感じる

そして次から次へと思考の波が押し寄せて息継ぎができなくなる

 

頭の中がずっと騒がしい

 

そうなると今度はその騒音をかき消そうと脳みそを音楽漬けにしたりする

 

完全に麻痺状態である

 

 

感情も乏しくなりただただ目から水が流れる

 

 

自分が何に追い込まれているのかは分かっていたけれどそれはどうしようもないこと

 

 

解決出来ないことが分かりきっている問題に私はどう立ち向かえば良いのだろうか

 

 

今少し思うことは、真正面から立ち向かっても無意味な問題は位置をずらすことが止血にはなるかと

 

 

 

自分がしんどい時は人にも優しく出来ない

 

 

今月、人生で初めて母の喧嘩を買った

 

今までは喧嘩が起きても、明らかに私の言い分が正しくても丸呑みしてきた

 

我慢して謝ることが美徳だと信じて疑わなかった

 

けれどいつものようにうまく出来ず、丸呑みする事が正しいのかと疑問に思った

 

母から長文のラインが来て、もう我慢できないと電車の中で号泣しながら長文のラインを返した

 

結果は失敗に終わった

 

私が書いたことは理解されておらず話が全く噛み合わなかった

 

 

やはり、という諦めと誰にも私は理解されないのかという激しい孤独に襲われた

 

 

母に以前、私が生きている価値とは?と言う話の中で

正直生きている意味を見出せないと言った内容を話したことがある

 

しかし全く共感されず、「お兄ちゃん(私の叔父)とおんなじことばっかり言ってるね。なぜこの血筋にそう言う人間が生まれたのか本当に分からない。違う人種すぎる。」と言われた

 

その時点で「ああ、」とは思った

 

私は同じ家族に対して何故もっと考えないのか、と苛立つ時がある

人生で哲学的な考えを持つことは人間として重要だと

改善しようとか自分の非を改めるとかそう言う考えが全くないと理解できないと感じてしまう

 

しかしそれは私の主張でそれは押し付けだとも思う

 

私は分かっていたのにも関わらず私の考えを理解して欲しいと期待してしまった

 

 

3年前の記していた私の心情を読み返すと、とても飢えていたように感じる

 

誰か私のことを理解して欲しいと

 

 

3年前と比べると理解者は徐々に増えていった

 

しかし何故か孤独感は拭えなかった

 

それはきっと最も近い存在である家族に理解してほしいと言う願望が満たされなかったからかもしれないと今回で感じた

 

 

私は親にもっと褒めてもっと認めて欲しかったのだろう

 

大人になる技術は少しずつ身に付けていても、中身はまだまだ子どもだと改めて感じた

 

 

大人になればなるほど誰かに褒めてもらえなくなる

 

私はこれからモチベーションを保つことができるか不安だ

 

 

そして今回の一件で強く感じたのは

 

血のつながっている関係でもこんなに考え方が異なるのだから、他人なんてもってのほか

 

 

なんで?とか思うだけ無駄なんだろうなあ

 

本でも同じ内容のものはたくさん目にしてきた

 

分かって入るけれど実際うまく対処できなくて

 

意見が食い違った時に「この人とは考え方が違うから仕方ない」なんて

 

本当にいつもできているのかな?みんな

 

私はできる時もあるけどできていない方が多いと思う

 

その問題が重要であればあるほど。

 

 

どうやってるのか誰か教えて欲しいです切実に。