遊備忘録

ここで泥を吐き出すことによって日常生活を保つことができます

道化

 

眠れない時は潔く諦めたほうが良かったりする

 

 

この前、満月を見ようと思っていたのに月を見ることを忘れていた

 

 

上を見るという行為すら日常では忘れて生き急いでいる

 

 

二日前、4年ぶりに家族旅行をした

 

家族みんなで車に乗ったり、食事をしたり、旅館に泊まったりと全てが非常に懐かしく感じた

 

そして時の流れを感じた

 

常に下から見上げていたものが気づけば上から見下げていることが多くなった

 

ここ数年で親が絶対的な存在ではなく一人の人間であることを知った

 

自分が大きくなったことを実感し、もっと両親との時間を大切にしないとなと感じた

 

 

 

 

旅行中は時間を意識することがほぼなかった

 

日常生活では朝出る時間から逆算して準備をし

 

バイトでは数分ごとに時計が目に入り

 

夜ご飯を食べる時間

 

お風呂に入る時間

 

今度は寝る時間から逆算して準備をする

 

 

頭の中で長針と短針がくるくる回る

 

常に時間に縛られていることに気がついた

 

 

時間を有効に使うための時計が生活を無味乾燥したものへと促す一つの材料なのかもしれない

 

 

 

そう思って今日は腕時計の表示をアナログからデジタルに変えた

 

何となく良い気もするしまだよくわからないけれどしばらく経過観察してみよう

 

 

 

そして最近あったこととしてもうひとつ

 

一昨日、誤解を生んだ発言をしたかもしれないという後悔を久しぶりに味わった

 

帰宅中頭から離れなくなったので家に着いた瞬間、謝りの連絡をした

 

こういう時は直接言うのが一番だ

 

そうすると相手は気にも留めていなかった

 

 

安堵と同時に苦笑した

 

 

 

その日の昼、別の人に

 

『この人今日調子悪いな』とか『機嫌悪いな』と思ってしまうという話をした時に

 

「そんなに人の顔色見てて疲れないの?」と聞かれた

 

疲れるに決まってる

 

けれど感じ取らないようにするなんて、目に見えるものを見るなと言っていることと同じだ

 

 

HSPなんで、とか言ったところで通用しないだろう

 

いやそもそもHSPだからとか言う理由なんて正直無意味だ

 

理由がわかったからといって現実は何も変わらない

 

生理痛だからといって痛みや食欲が収まるわけでもない

 

とってしまったカロリー数には何の変わりもないのだ

 

 

だからこれらの理由を使うのは嫌いだ

 

一時期めちゃくちゃ流行ってここぞとばかりに私HSPなんです!みたいな主張がsnsで増えていたけれど、見ているこっちが恥ずかしくなった

 

共感性羞恥もある

 

主張したところで何か変わることを周りに期待しているのが見えていたから

 

 

彼らは結局何も変わらないことに気づいたのだろうか

 

 

自分の性質も取り扱い方ももう慣れているけれど、所詮それらは鎮痛剤

 

 

本質が変化するまでには及ばない

 

感情だって同じである

 

 

 

 

一つ前の文章は伝わるべき人に伝わったのだろうか

 

結果は知る由もない

 

信じるしかない

 

目に見えないものを信じることは難しい

 

頑張ればどうにかなるものなのだろうか

 

頑張る気力がない時はどうしたら良いのだろうか

 

 

 

いつか誤魔化さずに生きられるようになりたいな

 

 

 

 

あと3時間で夜が明ける

 

まだ私の頭にはアナログ時計が入っているみたいだ

 

 

 

今日はどんな1日になるだろう。