遊備忘録

ここで泥を吐き出すことによって日常生活を保つことができます

天邪鬼

 

気づけば100投稿目になり、何を書こうか悩んで時間が経ってしまった

 

特別だと思うから書けなくなるのは馬鹿馬鹿しいのでいつも通り書こうと思う

 

クリスマスもずらすのが好きだし、

バレンタインも当日に渡すのは好きじゃない私らしいかなと

 

それらしい内容は次に書こうか

 

 

今も何を書こうか思いつかないまま言葉を走らせている

 

最近あまり考え事をしていない

 

7、8月は自分の休養の月と決めて気ままに生きるようにしている

 

けれど、今まで暇という経験を味わったことのない人間に突然与えられたプレゼントは

使い道のわからない玩具を与えられるのと同じなようだ

 

持て余すという言葉がピッタリくる

 

忙しい時は1日で良いから何もしない日が欲しくなるのに

毎日がそれでは胸焼けを起こす

 

今を生きるってなんだろう

 

楽しみな用事を楽しみに今日を適当にこなす

嫌なことから現実逃避するためにふとスマホを見る

食べ物や景色をSNSに上げるために写真を撮る

時間を潰すための昼寝

意味もない動画に気付けば1時間

新しい趣味探し

 

これは自分がしたくてやっているのか

はたまた無意識下で”誰か”にコントロールされた結果だったりして

 

忙しくってそんなことやる時間ないし、自分は大丈夫だと思っている人も

実際はその”忙しさ”こそが暇潰しであり、

今を生きる力を身につけているとは考えづらい

 

そんな人こそ三ヶ月くらい自由時間を与えられると気が滅入ってしまうものだ

 

 

またお金があれば暇潰しをしやすいのは確かである

一方でお金があるからこそ暇を生み出してしまうのも現実

 

自分が生きることに余裕があるからこそ、

その余白でつまらないことを考えてしまう

 

 

この食事は自分が美味しいと思うから美味しいのか

”みんな”に人気だから美味しいのか

 

自分は充実しているのか

充実しているように”見える”から楽しいのか

 

自分は頭がいいのか

頭がいいように”見せる”のが得意なのか

 

 

誰かのイメージに生きている

それも一つの職業になるようになった

 

それが間違いだとは思わない

自分に閉じこもれ、とも思わない

 

けれど核の部分が取り違えられているようにも感じる

 

その状態が幸せであればそれは正解である

 

 

たまに虚無感というほどは形を成さない何かに襲われることがある

 

ハッキリと掴めない虚しさ

 

それを見て見ぬ振りをして生きている

 

起因は大体わかっている

 

それが今を生きるということなのだと思う

 

 

ふと将来の不安を考えたり(昔よりはるかに減ったが)

嫌なことは意識を他のことに逸らしながら終わらせたり

脳みそを音漬けにして何も考えないようにしたり

 

気付けば一日、一週間、一ヶ月が終わっている

 

その日その日は一生懸命生きているはずなのだけれど。

 

 

痛みは意識を逸らすのではなく

その痛みに向き合って集中する方が苦痛は少ないそうだ

 

 

そんな生き方をしたい

 

 

忙しさに耐え抜く強さよりも

心地よい忙しさを味わえるような人生でありたい

 

自分の着ぐるみを着て生きるのではなく

中身を剥き出しで生きられる練習をするのが今の目標です。