遊備忘録

ここで泥を吐き出すことによって日常生活を保つことができます

 

嫌なことがあった

 

 

 

心にずっとのし掛かる重み

 

過去に戻りたくても巻き戻せない時間

 

なんであんなことを、と責める自分と相手を責める気持ちが交差する

 

 

誰も助けてくれないという絶望

 

人間なんて所詮そんなものという蔑視

 

私の気持ちなんて誰にも分からないという倨傲と自己憐憫

 

 

 

 

10/16 午前3時

ふと夜と霧の一節を思い出す

 

どんな状況にあっても、

その状況に対してどのように振る舞うかという精神の自由だけは、

だれにも奪うことができない。

 

突然、この言葉の欠片を飲み込めたような気がした

 

 

 

きっかけはわかるけれどその関連性は無い

 

不思議な出来事である

 

けれどたまに起きる

 

知識と発想がバチッと花火のように結びつく感覚

 

 

 

知識の蓄積における大切さを、身震いするほど再認した

 

 

「夜と霧」は名著である、という意味がずっと理解できなかった

 

何か腑に落ちなくて、喉に引っかかったまま飲み込めずにいた

 

初めて読んだのは確か三年前。

 

やっとか。すごく長かった。

 

 

事象は変えられない

 

 

けれど私たちは主観という色眼鏡を通して事象を見ている

 

 

 

つまり受け取り方は自由である、ということ

 

どんな受け取り方をするかは自分自身で決められるのだ

 

 

これを理解するのにとても長い時間が掛かったように感じる

 

 

事象と感情は切り分けて考えるということか。

 

あみだくじの先は自分で変えられるのだ

 

 

私たちに勇気と希望を与えてくれる本であるということに賛同できる喜び

 

 

 

 

ついこの間、電車を待ちながら空を見ていた

 

 

その時、ふと

 

人は先に対する希望がなければ生きる意味は見出せず、

生命を保つ能動的行動が出来なくなる

 

したがって無期懲役精神の死にも関わらず生き続けなければいけないという罰である

死に対する恐怖よりも酷なのかもな、なんてことを考えていた

 

 

 

その思考は間違いであった

 

パラダイムシフトはポジティブかネガティブかの二択ではなかった

 

その可能性は無限である

 

 

自分の同族を探し、傷の舐め合いをする必要はない

 

自分の精神を誰かにもたれかける必要もない

 

自由は責任と権利である

 

 

 

さあ、明日はどう生きる?