遊備忘録

ここで泥を吐き出すことによって日常生活を保つことができます

ひとり時間と孤独

スケジュール管理が苦手

 

いや、得意だからこそ苦手だ

 

 

どの月に遡ってもスケジュールが入っていない日がほとんどなく、

分刻みのスケジュールを正確にこなす自信はある

 

1日に3つ以上予定がある日だってザラだし、ダブルブッキングはしたことがない

 

 

自分でも何がそんなに忙しくさせるのかよく分からない

 

バイトの日もあれば謎の細々とした用事、人と会うこともある

 

 

だからこそ私にとって「暇」は大敵だった

 

 

ずっと家にいるとソワソワして、スマホを眺めることすらままならない

 

長時間眠る事もできないから昼過ぎまで眠るなんてこともできない

 

映像をじっとしていられないから一人では映画やYouTubeも見続けられない

 

 

だから予定をパンパンにして動いて動いて考える時間をなくす

 

 

そうやって忙しすぎると考える時間はなくなるが

じわじわと脳と体が死んでいくのが分かる

 

 

末期症状としては何も感情がないのに勝手に目から涙が出る

(この場合涙というより水と言った方が正しい)

 

そういうときに「休みたい」と思っても、時既に遅し

 

 

何回人に「予定を詰めるな」と言われても、なぜか直すことができなかった

心の中で「直せるならとっくに直してる」なんてほざいていた

 

 

正直自分でも病的だと思う

「来月はゆっくりする!」と何回決意してきたか分からない

 

しかし気づけばスマホのカレンダーは文字で埋め尽くされている

 

 

 

私は一生時間に縛られて生きていくんだとおもっていた

 

 

多分、私は心が貧しい

 

常に何かに飢えている

 

 

環境や家族、友人関係のどれをとっても恵まれているし、何不自由ない暮らし、

何も欠けているものはない

 

自分でも何に飢えているのか分からないけれど、心の何かを埋めるためにひたすら動いているような気がしていた

 

 

そしてその理由を見て見ぬふりをしてきた

 

それは自分自身に対する満足感、だと思う

 

 

昔からコンプレックスの塊でそのコンプレックスを埋めようと必死に戦ってきた

 

それは別に悪いことだけではなく、人間はコンプレックスがあるからこそ成長できるとも思う

 

 

けれどがむしゃらにもがくだけでは

心のぽっかりと空いた空間は埋まらないことに気がついた

 

 

その穴を埋めるためには目を逸らさずに自分を真っ直ぐ見つめる時間が必要だと思う

 

 

なんにもない一日が嫌でたまらなかったけれど

自分なりの過ごし方を記録しておこうと思う

 

長くなってきたので次に続く