遊備忘録

ここで泥を吐き出すことによって日常生活を保つことができます

わかりやすいオシャレとわかりにくいお洒落

 

不思議なことに服の好みは刻一刻と変わる。

 

去年の嫌いが今年の好きになることだってある

 

けれど一つ確実なのはセンスは必ず成長しているということ

 

去年の自分より今年の自分、今年の自分より来年の自分の方がセンスはいい

 

その時の最大限のおしゃれをし続けることによってセンスは身につくものだと思う

 

 

オシャレって何?という問いの答えは出ていない

 

だからこそ自分の中のおしゃれが正解だと自信を持って言える事がファッションの素晴らしさだと思う

 

 

私の中では別に人からどうこう言われようが揺るぎなく楽しめる唯一のものだ

 

自分が最高と思うものが”最高”なのだから

 

例えば漢字で書く「お洒落」とカタカナの「オシャレ」、ひらがなでもいい。

 

雰囲気やニュアンスによってどう捉えるかは人によって異なるだろう

 

どの書き方が好みか

 

その問いに対する不正解は存在しない

 

どれも正解なのだから

 

これが服にも当てはまる、という話

 

 

 

年々自分のスタイルに対する可動域が広がっていくのがわかる

 

 

昔は何がいいのか理解できなかったものがとんでも無く価値のあるものとして目に写る瞬間は快感すら感じる

 

 

また似合わなかったタイプの服も歳を重ねると似合ったりするのが面白い

 

 

服にしっかりと向き合い出した当初はわかりやすいおしゃれが好きだった

 

派手な色使いやデザイン性のある服

 

シンプルな服の良さがわからなかった

 

 

しかし年々シンプルな服の良さがわかるようになってきた

 

シンプルという言葉よりも質の良い服、という表現が正しい

 

 

だからこそ前の私が「何がいいの?」と感じていたスタイリングもその人がどれだけセンスがいいか理解できるようになった

 

 

わかりにくいセンスは粋という言葉にぴったり当てはまる

 

 

だからと言って派手な服がダメかというわけではなく、好きの範囲が広がってきたという事である

 

 

確かに昔好きだったという服が今の気分ではないということもよく起こる

 

それは自分の気分に適さないというだけである

 

たまたま今の自分は肩の力を抜いた服が気分なのだ

 

 

そして私の中で洋服選びの最も難しい点はTPOだ

 

 

本当はいつも気合120%の洋服が着たい

 

しかし日常生活の中でそんな服を着ているのはTPOに適さない

 

 

と思っているのは自分の思い込みなのではないか?と最近思ってきた

 

 

コンビニに行くだけでも一張羅を着てもいいじゃないか

 

勝手に制限をかけているのは自分なのでは

 

 

今週は気張ったお洒落週間にしてみようか

 

(けどバイトの時は汚れるしな、とか早速思っている自分がいる)

 

 

よし、今週は気合い入れよ!