遊備忘録

ここで泥を吐き出すことによって日常生活を保つことができます

お決まりの萎えweek -9月編-

 

いつもテーマから書いている

 

けれど今日は思いついたまま書いて、最後にタイトルを考えてみる

 

 

というのも、ちょっと疲れたからという理由で。

 

これを書くことに対してではなく、多分、定期的に訪れるやつ

 

 

私たちは普段意識的もしくは無意識的に

先にある何かに向かって生きているのだと思う

 

 

そしてその先を見通せることは絶対にない

 

 

それがよく言えば人生の面白さと言えるが、正直嫌な時の方が多い

 

 

昔「自分の未来を見れるなら」という設定で

「楽しみにしたいから見ない!」なんていう話を聞いたことがある(なんだっけ、ドラえもん?)

 

そんなことは絶対にあり得ないだろう

 

そうでなければ占いなんて絶対に流行らないし、風水なんてもってのほか

宗教だって存在していないかもしれない

(しいたけ占い大好き)

 

みんな未来が不安だからこそ

その不確定要素を良い方向にする為に必死なのではないか

 

 

けれど、その努力を全て投げ出したくなる時がある

 

自分のためにしていることなのに、辛くなる時がある

 

 

勉強すればするほど自分の無知さに気づくなんてことはよくあるが

少々残酷すぎる

 

 

私は難しい本が苦手で、小説が好きだ

 

小説だって表現方法や筆者の思考回路は想像を絶する

しかし比較的哲学書などよりは、受け手側の能力はなくても読むことはできる

 

そして私は筆者の途方もない表現力や私が読めないであろう本を読んでいる人を見つけると、自分がどうしようもないほど無能なのではと落胆する

 

 

これは一具体例である

 

世の中には腐るほど上には上がいるし下には下がいる

 

 

だからこそ絶対的評価を持てるようになる必要がある

 

そのために自分を”知り尽くす”ことが大切だと思っている

 

 

私の欠点は見栄を張ること

 

人の前で自分の醜態を晒すなんて言語道断

常に自分が納得できる自分でありたい

「自分なんて」と言ったしょうもない保険をかける癖も無くしたい

そのくせ「私すごいでしょ!」なんていったアピールも忘れない

 

 

 

人間として一番強いのは飾らない人だ

 

 

 

だからこそそういう自意識の薄い?人を見ると違う生き物を見ている感覚になる

 

羨ましい。

 

どう言ったらそういう人になれるのか、という問いさえ自意識の塊であり

その域に達するのはあと数百年かかりそう

 

 

忙しすぎるのも良くないが、暇を持ちすぎても気が滅入る

 

ペンシルベニア大学の最新の研究で人間の幸福度は1日の自由時間が5時間を超えると低下するらしいというニュースをちょうど見た

 

 

生きていれば楽しいことがある、だなんて慰めがあるがそんなもの絶対的に苦しいことの方が多いだろう

 

そんなことを言うと「考え方が〜」とか「感謝が足りてない」とか「足るを知る」だとか色々言われそうだけれど嫌なもんは嫌。

 

疲れたって私が思うんだから疲れてんだよこっちは

 

未来の事も何にもわかんないしもがいてももがいても未来が変わってんのか変わってないのかわかんないし

 

けど楽しいことばかりしていたら「このままでいいのか」なんて不安に駆られるなんて

 

溜まったもんじゃない

 

 

もぉぉぉ楽にさせてくれーーー

 

 

受験に受かったり就職決まったり、結婚したりする時って多分人生でトップレベルの喜びだと思うの

 

 

それってその事実というよりもある一定の期間は私は未来が担保されていますよっていう安心感から来る幸福感なのではないか、と思ったりしちゃったり

 

なんか愚痴ってたらちょっと楽になった

今日は何言ってんのか自分でもわからない投稿でした。

 

 

すみません、以後気をつけます。多分来月もやるけど。