遊備忘録

ここで泥を吐き出すことによって日常生活を保つことができます

101回目

 

今回はちゃんとしたことを書こうと意気込み、

 

ちゃんとしたことって何?ってまた考え出す悪い癖

 

 

私なりの「ちゃんとしたこと」として

服好きになった過程を自分で整理しながら振り返ろうと思う

 

 

保育園の頃から自分の服は当日の朝決めないと気が済まず、

昨日自分で決めた服を気が変わったからとギャン泣きし

母をどれほど困らせていたかはよく聞いていた

(残念ながらその記憶はしっかりある)

 

制服指定の保育園で、その制服が気に入らず

必死にリュックの下に隠し

制服を忘れたふりをして嘘をつき、私服登校をしていた

 

きっと保育士さんにはバレバレだっただろうに。

(ご迷惑をおかけしました)

 

 

ハッキリと自分がファッションの世界に憧れた瞬間は今でも覚えている

 

中学一年生の時

姉が貸してくれた雑誌を読み、自分の中に雷が落ちたような衝撃を受けた

 

こんなにも心が躍り、キラキラとした世界があるのかと

ファッションは着る服によって何者にでもなれる魔法のように感じた

 

今よりも感受性が高い時期だったのもあり、それからどっぷりと沼にハマった

 

初めて自分で買った雑誌を今でも覚えている

 

non・no (ノンノ)2013年 5月号 : non・no編集部 | HMV&BOOKS online - 072830513

 

今見てもその頃の感情が少し蘇る

(懐かしい〜〜〜)

 

それから雑誌を買い集め、隅から隅まで何回も繰り返し読んだ

勉強をしなきゃいけないテスト期間も、寝る前のご褒美としてどれか一冊読んでいた

 

 

読みまくった結果、梅田で歩いている人たちの服をどこのブランドか当てられるまでに至った

(今よりも似ている服が少なく、ブランドのデザインがわかりやすかったのもある)

 

信号待ちをしている時に、

ブツブツと『あのワンピは〇〇の』『あのトップスは■■だろうな』と一人で考えていたのを思い出すと若干キモい

 

 

今は大量消費の時代過ぎて、そんなことはもう出来ないなと思うと少し寂しさも感じる

 

 

そんな中学生時代、おしゃれだったかと聞かれると全力で首を横に振りたい

 

いかに安くコスパの良い服を選べるかが大事だったと思う

 

また中学校という特殊な環境上、「可愛い子」「おしゃれな子」がたくさんいる中で

とてもファッションが好きですなんて声を大きくして言えずに

ひっそりと楽しんでいた気がする

 

そんなこんなで高校生になり相変わらずファッションは好きだった

母とたまにご褒美としていくショッピングが何よりも楽しかった

けれど高校生の本分は勉強であるという環境で、ファッションにのめり込むことは悪であった

 

楽しみは苦しみのご褒美でなければならない、という先入観の中で”娯楽”としてのみ楽しんでいた

 

 

高校2年生の時、どうしても服飾専門学校への道が諦めきれず進路相談室に行った

 

高校の先生に「ファッションを学びたい」と泣きながら相談した結果、

「ここまで勉強をしてきたのに大学に行かないのは勿体無い」

と言われ、やはり楽しみを主軸にするのはいけないことなのかと感じた

 

 

その時のアドバイスは今になって非常に感謝している

 

そして最終的にその選択をしたのは自分自身だし、選択を正解にするのも自分の責任である

 

 

けれど自分の子供には

『好きなことを好きなだけしなさい』

と言えるような大人になりたい

 

 

肝心の大学受験はというと

第一志望には落ち、全く想定していなかった学校に進むことになった

 

今までで一番苦しかった努力が実らず、私はもう生きている意味なんてないと思った

 

死ぬほど嫌いな勉強を歯を食いしばって我慢して耐えてきた私の努力は何だったのかと

 

 

そこで初めて、ある物事に対して

好きでやっている人と嫌々やっている人の結果は天と地の差なんだなと身に染みて感じた

 

だから逆に言えば、自分の好きなことは他の人よりも楽にできるのだということ

 

 

大学一年生の時、初めて全力で服と向き合おうと決意した

 

いろんな服を着て、いろんな髪型をして、オシャレとは何かを探そうとした

 

間違った方向に行きまくった結果、今があるのだろう

黒歴史いーーっっっっっぱい)

 

服を作ったり、買ったり、見に行ったり、デザイナーのトークショーとかにも参加した

 

大学四年の今(正確には五年生?)、

お洒落になったかと聞かれれば、全力で首を横に振りたい(2回目)

 

やればやるほど、お洒落って何かわからなくなっている

 

自分なりのこだわりは増えているけれど

悪い癖で真剣にお洒落とは何かを考え出して頭を悩ませる時期が定期的にくる

 

 

いつか自分の中のお洒落を確立させたい、と思うが

それはまだまだ先のよう

 

けれど原点に帰れば「自分のなりたい誰かになれる喜び」「毎日違う自分に出会える楽しみ」は変わらないのだろうと思う

 

だから私はどちらかというと服好きというよりもファッション好きなのだと思う

(本当は服好きに憧れているけれど)

 

まあそんなこと楽しかったらどっちでも良いよね!

 

 

ファッションが最高なのは正解がないという所

 

自分が着ていてテンションが上がれば正解である

 

 

ぐちゃぐちゃ人の服装に批評する奴なんてほっとけばいい

自分が満たされる行為であり、残念ながら人を満たす行為ではないから

 

冠婚葬祭とか最低限の社会のルールは守っておけば

自己中心がファッションでは合法だもの

 

思いっきり好きな服を着て

思いっきり好きな自分で生きていこう

 

これからも思いっきりファッションを楽しもうね!!!

 

 

                                             22歳の私より