人に尽くす、という行いは何から生まれるのか
世のため人のために尽くしなさい、と言われて育ってきた私だが
つい先日私がしていることに対して母に「それは搾取されてるのでは?」と聞かれた
私が自分の意思でしていることに対して搾取されているという疑惑をかけられたことは非常に心外だった
しかし利用されていることと人に尽くすことの線引きはいったい何処なのだろうか
相手の希望することを見通した上でその行いをするのは利用されているわけではない、と考えた
しかしそれは搾取にはなり得る
自分の感情で相手に好かれたいだとか嫌われたくないだとか優秀に見せたいだとか色々な感情が錯誤する中で
一体何が正解なのだろう
そもそも搾取されることはよくないことなのか?
いや、自分に害が生じている場合良くないな。
けれど搾取されることは人に尽くすことの十分条件では?
大事な人たちのためなら搾取されても良いと思う自分もいる
自己尊重と自己犠牲は両立することが今の目標だけれど
体がいくつあっても足りないよー
線引きすら難しいのに
みんなどうしているんだろう.