私の憧れの場所に、知っている人がいた
消費者と関係者
その壁は高すぎる
そして”そっち側”に悠々と入り込んでいる事実に少し複雑な思いである
いつかわたしもそっち側の人間になることが夢なのに、天から与えられるものは時に残酷だなあとも思う
その人は私が存在していることすら忘れられているのだろう
良い意味でも悪い意味でも年齢はただの数字だと思う
中学生の時から先輩後輩のシステムや兄弟姉妹の関係に反発を覚えていた私は、両親に怒られている時も非常に不満だった
早く生まれてきたことがそんなに偉いのかと
世の中なんてくそ、とか思っていた中学生時代
そんな赤面するような厨二病は落ち着いたと信じたい
確かに2つ3つ違うだけでその年数分経験値が高いのだから、凄くて当たり前っちゃ当たり前
けれどその人の努力や苦労、考えてきたことによって
その年齢相応なのか上なのかもしくは下なのかは大きくばらつきが出てくる
それによって精神年齢と実年齢は人によって違う
この歳だからこれくらいが正解!なんて指標は存在しないのだから
年齢相応かどうかの判断は絶対評価ではなく相対評価になってしまうけれど
だからこそ同い年でも歳上でも歳下でも尊敬できる人は出来るし、逆もまた然り
私主観で無礼講はお許しください(だって私の日記だし)
けれど何故か、歳上というだけでフィルターがかかる
「歳上→凄い」ではなく「凄い→歳上」
のケースが多いから?
大大大前提にに礼儀は必要
仲の良さと礼儀を履き違えるのはまた別の問題
その人が不快になるようなラインをズカズカと踏み入ってはいけない
(これで行ってたらどうしよう)
けれど数字だけを見て屈服したくないという厨二病精神は持っていたい
勘違いも甚だしく、恥ずかしいとは思うけれどまだ現状では捨てられないです。
あの人は正直そんなに努力しているようには見えなかったことが余計に心を波立たせるのだろう
あの人のルッキズムと行動はなかなかきつかった
私は何も知らない
けれどこんなに苦しんで生きてきたのに彼は、なんて醜い気持ちが蓋をしてもうっすらと透けて見えてしまう
相手のことを何も知らないのに。
そして苦しむことが努力ではないことは分かっているはずなのに
その考えを改めることができない
”こんなに私は”
なんて被害者意識でしょうもない。
人間生きていたらどうやっても全員加害者だ
私はその事実からずっと逃げている
この前だってそう
誰も傷つけたくない、なんて本当は誰かを傷つける覚悟と責任が私にはないだけ
分かってはいるのに行動は伴わない
私は何と闘っているのだろう。