遊備忘録

ここで泥を吐き出すことによって日常生活を保つことができます

コンパス

 

自分って最高、と思う時がある

 

自分って最低、と思う時もある

 

 

誰だって波がある

 

自分が理想とする状態と程遠い日だってたくさんある

 

 

思いっきり失敗したり

誰かと比べて落ち込んだり

人に優しくできなかったり

痩せたいのに思いっきり食べたり

大事なモノを失くしたり

やらなきゃいけないことを頑張れなかったり

肌が荒れたり

失恋したり

怒られたり

 

もう嫌だって思うけど、きっと同じ回数だけその反対もある

 

勝手に決めた自分の理想なのだから、その理想に外れたって誰も怒らない

 

自分を攻撃しているのは自分なのだ

 

太ってても痩せてても

オシャレでもダサくても

部屋が汚くても綺麗でも

優しくても意地悪でも

ダラダラするのもテキパキするのも

自信があってもなくても

自分が好きでも嫌いでも

 

全部私なのだ

 

”私”という個体には何ら変わりがない

 

 

丸ごと愛せ、なんて難しい

 

好きじゃない自分だっていっぱいいる

 

けれどどんだけ嫌ってもその私と別れる事はできない

 

まあぼちぼち上手くやろう、という話

 

 

期待するのが悪いとかいうけどさ、じゃあどうすればいいのかはふわっとしか教えてくれない

 

それができてたら人間苦労してないよ

 

 

しかも希望がないと頑張れないんだもん

 

こうなるかもしれないから頑張ろうっていう頑張れるタイプなので。

 

 

こうすればいいとかこれが正しいとかはわかっているけど全部が全部できないのが人間らしさだなんて言い訳している

 

 

つい自分にも人にもこうするべき、とか押し付けがちなのは本当にお門違いだよなあ

 

 

目的地を明確にすることはいい事だと思うから

いっぱい目標を立てて

頑張れる時は頑張って

頑張れない時は頑張らない

 

大失敗する日があったらきっと大成功する日だってあるはずだ

 

 

自分に厳しいのも悪くないけど、

 

自分が自分の一番味方でありたい

これが単純なようですごく難しいけどね。

 

 

何が言いたいのかよくわからないけど、最近のひとりごと。

約束

刻一刻と九月が近づいてきた

 

本来であれば夏休みの折り返し地点であったけれど、私にとっては入社月

 

いよいよか、と

新しいことに挑戦できる嬉しさとついていけるのかという不安が入り混じる

 

まあ誰でも最初は初心者だからと言い聞かせて心の平穏を保つ

 

始まればきっと余裕がなくなるだろうから、

今のうちに九月の私へ忠告しておく

 

仕事面

・どれだけ聞きづらくてもわからないことがあればその場で聞いておく(時限爆弾になる可能性あるよ)

・職場の人と仲良くできると思うけど、必要以上に顔色伺いすぎないようにね(そんなとこでエネルギー消耗したら息切れするから!)

・間違えたらすぐに間違えた報告しなさい(時限爆弾②)

・言われたこと、やらなければいけないことは後回しにせずその瞬間にやること(忘れるよ)

・小さな違和感を放っておかないこと(絶対何かあるから)

・義務感でやるのではなくできるだけゲームとして楽しむこと

・頑張ることと無理をすることは違うのを忘れないこと

・疲れている時はちゃんとしっかり休むこと(疲れている時は何をやっても上手くいかないよ)

・自分が間違っている可能性を常に意識すること(これ一番できてないからね)

・自分を攻撃してくる人とはしばらく距離をあけるように(いつかきっと仲良くなれるよ、多分)

 

 

生活面

・23時には寝る

・週1で自分をメンテナンスする時間を設けること

・余裕が出てきたら運動もできると◎(多分最初は無理だから潔く諦めることも大事)

・辛い事があったら何よりも早く寝ること

・調子が悪い時はお気に入りのワンピースを着て行くこと(訳のわからない組み合わせをすると余計萎えるでしょ)

・どれだけしんどくても化粧はして行くこと(自分の為に)

・疲れて泣きそうになってもお風呂は入ること(次の日に持ち越して絶対に後悔するから)

・ストレスで過食しそうになったら温泉に行くこと(好きなものは食べて良いからね)

・ネイルが剥げてきたら次を塗らなくても良いからとりあえず落とすこと(視界にめっちゃ入る)

・絶望的に何もかも嫌になったら遠くに行くこと(物理的に生活から距離を置くように)

 

 

・上の全てを完璧にしようとしないこと

 

 

思っているよりも大変かもしれないしそうじゃないかもしれないけど、

 

力みやすいから適当にね

 

 

あとちゃんと読み返しなよ、自分の文章(これが結構忘れる)

 

まあ、上手くいかない事は絶対にあるんだからそこは諦めな

 

深呼吸深呼吸!

車窓

 

ちょうど三年前の今頃、自分の感情を書き留めるようになった

 

その時の文章から、人生を辞めようかと本気で悩んでいたことを思い出す

 

忘れられなかった出来事も気づけば薄くなっていく

 

生きててよかったよ、なんて無責任にはまだ言えないけれど

生きるのは上手くなるよと伝えたい

 

 

新幹線の窓から見る景色が好きで、乗る時は必ずE席を選ぶ

 

先日初めて新幹線での雨を体験した

 

窓についた水滴が真横に流れていく映像が心に残った

 

出発地点は晴れていたが、途中で15分ほど雨の地域を通った

 

軽率ながら

人生と一緒か

なんて一人で思って笑ってしまった

 

自分でも稚拙な感想で赤面した

 

(もし誰かに見られていたらホラーだっただろう)

 

雲が開けた景色は神々しいほど美しかった

 

まあ実際人生そんなもんなんだよな〜

 

 

痛みはただじっと耐えれば過ぎ去ってくれるはず

 

そうやって気づけば本当は声を上げて泣きたいのに泣き方を忘れ

感情もわからないまま目から水がただ流れる

 

所詮悲しみを乗り越えるのは本人だし、周りがどうこうできるものでもないという信念のもと生きてはいるけれど

そばにいるとどうしてもどうにかしてあげられないのだろうかというエゴが働く

 

自分が辛い時の乗り越え方は上達してきたんだけれど、未だに誰かの支えになるのは難しい

 

私が泣いている時、必ずなつ(犬)は舐めてくれる

わかっているのかわかっていないのかもわからないけれど、

いつも冷たいのに、と思いながら必死に舐めてくれる姿に救われる

 

先日、これが慰め方の正解かと学んだ

(人間バージョン難しいけれど)

 

いつも自分は孤独だと(精神的にね)

頼れるのは自分だけだと

誰も理解してくれないと

期待するのは自分が悪いんだと

 

それもきっと間違いではないだろう

 

けどもっと大正解ってあるのかな、なんて

まだまだ期待して生きていっちゃうんだろうな

 

101回目

 

今回はちゃんとしたことを書こうと意気込み、

 

ちゃんとしたことって何?ってまた考え出す悪い癖

 

 

私なりの「ちゃんとしたこと」として

服好きになった過程を自分で整理しながら振り返ろうと思う

 

 

保育園の頃から自分の服は当日の朝決めないと気が済まず、

昨日自分で決めた服を気が変わったからとギャン泣きし

母をどれほど困らせていたかはよく聞いていた

(残念ながらその記憶はしっかりある)

 

制服指定の保育園で、その制服が気に入らず

必死にリュックの下に隠し

制服を忘れたふりをして嘘をつき、私服登校をしていた

 

きっと保育士さんにはバレバレだっただろうに。

(ご迷惑をおかけしました)

 

 

ハッキリと自分がファッションの世界に憧れた瞬間は今でも覚えている

 

中学一年生の時

姉が貸してくれた雑誌を読み、自分の中に雷が落ちたような衝撃を受けた

 

こんなにも心が躍り、キラキラとした世界があるのかと

ファッションは着る服によって何者にでもなれる魔法のように感じた

 

今よりも感受性が高い時期だったのもあり、それからどっぷりと沼にハマった

 

初めて自分で買った雑誌を今でも覚えている

 

non・no (ノンノ)2013年 5月号 : non・no編集部 | HMV&BOOKS online - 072830513

 

今見てもその頃の感情が少し蘇る

(懐かしい〜〜〜)

 

それから雑誌を買い集め、隅から隅まで何回も繰り返し読んだ

勉強をしなきゃいけないテスト期間も、寝る前のご褒美としてどれか一冊読んでいた

 

 

読みまくった結果、梅田で歩いている人たちの服をどこのブランドか当てられるまでに至った

(今よりも似ている服が少なく、ブランドのデザインがわかりやすかったのもある)

 

信号待ちをしている時に、

ブツブツと『あのワンピは〇〇の』『あのトップスは■■だろうな』と一人で考えていたのを思い出すと若干キモい

 

 

今は大量消費の時代過ぎて、そんなことはもう出来ないなと思うと少し寂しさも感じる

 

 

そんな中学生時代、おしゃれだったかと聞かれると全力で首を横に振りたい

 

いかに安くコスパの良い服を選べるかが大事だったと思う

 

また中学校という特殊な環境上、「可愛い子」「おしゃれな子」がたくさんいる中で

とてもファッションが好きですなんて声を大きくして言えずに

ひっそりと楽しんでいた気がする

 

そんなこんなで高校生になり相変わらずファッションは好きだった

母とたまにご褒美としていくショッピングが何よりも楽しかった

けれど高校生の本分は勉強であるという環境で、ファッションにのめり込むことは悪であった

 

楽しみは苦しみのご褒美でなければならない、という先入観の中で”娯楽”としてのみ楽しんでいた

 

 

高校2年生の時、どうしても服飾専門学校への道が諦めきれず進路相談室に行った

 

高校の先生に「ファッションを学びたい」と泣きながら相談した結果、

「ここまで勉強をしてきたのに大学に行かないのは勿体無い」

と言われ、やはり楽しみを主軸にするのはいけないことなのかと感じた

 

 

その時のアドバイスは今になって非常に感謝している

 

そして最終的にその選択をしたのは自分自身だし、選択を正解にするのも自分の責任である

 

 

けれど自分の子供には

『好きなことを好きなだけしなさい』

と言えるような大人になりたい

 

 

肝心の大学受験はというと

第一志望には落ち、全く想定していなかった学校に進むことになった

 

今までで一番苦しかった努力が実らず、私はもう生きている意味なんてないと思った

 

死ぬほど嫌いな勉強を歯を食いしばって我慢して耐えてきた私の努力は何だったのかと

 

 

そこで初めて、ある物事に対して

好きでやっている人と嫌々やっている人の結果は天と地の差なんだなと身に染みて感じた

 

だから逆に言えば、自分の好きなことは他の人よりも楽にできるのだということ

 

 

大学一年生の時、初めて全力で服と向き合おうと決意した

 

いろんな服を着て、いろんな髪型をして、オシャレとは何かを探そうとした

 

間違った方向に行きまくった結果、今があるのだろう

黒歴史いーーっっっっっぱい)

 

服を作ったり、買ったり、見に行ったり、デザイナーのトークショーとかにも参加した

 

大学四年の今(正確には五年生?)、

お洒落になったかと聞かれれば、全力で首を横に振りたい(2回目)

 

やればやるほど、お洒落って何かわからなくなっている

 

自分なりのこだわりは増えているけれど

悪い癖で真剣にお洒落とは何かを考え出して頭を悩ませる時期が定期的にくる

 

 

いつか自分の中のお洒落を確立させたい、と思うが

それはまだまだ先のよう

 

けれど原点に帰れば「自分のなりたい誰かになれる喜び」「毎日違う自分に出会える楽しみ」は変わらないのだろうと思う

 

だから私はどちらかというと服好きというよりもファッション好きなのだと思う

(本当は服好きに憧れているけれど)

 

まあそんなこと楽しかったらどっちでも良いよね!

 

 

ファッションが最高なのは正解がないという所

 

自分が着ていてテンションが上がれば正解である

 

 

ぐちゃぐちゃ人の服装に批評する奴なんてほっとけばいい

自分が満たされる行為であり、残念ながら人を満たす行為ではないから

 

冠婚葬祭とか最低限の社会のルールは守っておけば

自己中心がファッションでは合法だもの

 

思いっきり好きな服を着て

思いっきり好きな自分で生きていこう

 

これからも思いっきりファッションを楽しもうね!!!

 

 

                                             22歳の私より

 

 

 

 

 

天邪鬼

 

気づけば100投稿目になり、何を書こうか悩んで時間が経ってしまった

 

特別だと思うから書けなくなるのは馬鹿馬鹿しいのでいつも通り書こうと思う

 

クリスマスもずらすのが好きだし、

バレンタインも当日に渡すのは好きじゃない私らしいかなと

 

それらしい内容は次に書こうか

 

 

今も何を書こうか思いつかないまま言葉を走らせている

 

最近あまり考え事をしていない

 

7、8月は自分の休養の月と決めて気ままに生きるようにしている

 

けれど、今まで暇という経験を味わったことのない人間に突然与えられたプレゼントは

使い道のわからない玩具を与えられるのと同じなようだ

 

持て余すという言葉がピッタリくる

 

忙しい時は1日で良いから何もしない日が欲しくなるのに

毎日がそれでは胸焼けを起こす

 

今を生きるってなんだろう

 

楽しみな用事を楽しみに今日を適当にこなす

嫌なことから現実逃避するためにふとスマホを見る

食べ物や景色をSNSに上げるために写真を撮る

時間を潰すための昼寝

意味もない動画に気付けば1時間

新しい趣味探し

 

これは自分がしたくてやっているのか

はたまた無意識下で”誰か”にコントロールされた結果だったりして

 

忙しくってそんなことやる時間ないし、自分は大丈夫だと思っている人も

実際はその”忙しさ”こそが暇潰しであり、

今を生きる力を身につけているとは考えづらい

 

そんな人こそ三ヶ月くらい自由時間を与えられると気が滅入ってしまうものだ

 

 

またお金があれば暇潰しをしやすいのは確かである

一方でお金があるからこそ暇を生み出してしまうのも現実

 

自分が生きることに余裕があるからこそ、

その余白でつまらないことを考えてしまう

 

 

この食事は自分が美味しいと思うから美味しいのか

”みんな”に人気だから美味しいのか

 

自分は充実しているのか

充実しているように”見える”から楽しいのか

 

自分は頭がいいのか

頭がいいように”見せる”のが得意なのか

 

 

誰かのイメージに生きている

それも一つの職業になるようになった

 

それが間違いだとは思わない

自分に閉じこもれ、とも思わない

 

けれど核の部分が取り違えられているようにも感じる

 

その状態が幸せであればそれは正解である

 

 

たまに虚無感というほどは形を成さない何かに襲われることがある

 

ハッキリと掴めない虚しさ

 

それを見て見ぬ振りをして生きている

 

起因は大体わかっている

 

それが今を生きるということなのだと思う

 

 

ふと将来の不安を考えたり(昔よりはるかに減ったが)

嫌なことは意識を他のことに逸らしながら終わらせたり

脳みそを音漬けにして何も考えないようにしたり

 

気付けば一日、一週間、一ヶ月が終わっている

 

その日その日は一生懸命生きているはずなのだけれど。

 

 

痛みは意識を逸らすのではなく

その痛みに向き合って集中する方が苦痛は少ないそうだ

 

 

そんな生き方をしたい

 

 

忙しさに耐え抜く強さよりも

心地よい忙しさを味わえるような人生でありたい

 

自分の着ぐるみを着て生きるのではなく

中身を剥き出しで生きられる練習をするのが今の目標です。

 

 

 

 

 

 

人は何千という出会いがあるけれど

会う約束をするまでには高い壁がある

 

その中でも会い続ける人はほんの一握り

 

昨日まで仲良く話していたのに

突然もう2度と会わなくなったり

 

もう連絡も取らないだろうと忘れかけていた頃に

急に連絡がきたり

 

いつからか空いた心に蓋をして、そういうものだと流れに身を任せるようになった

 

 

『ずーーっと友達だよ!』なんて無邪気に、

でも本気で信じていた子供心に戻りたい

なんて思うこともある

 

 

私から見える人との関係はいつも儚くて

 

直接顔を見たことのない自分だけは一生付き合うことになる

 

その違和感を感じるのはいつからだろう

 

 

 

一年前、私は誘うという行為が苦手だとここで書いた

 

 

その時は断られるのが怖いのだ、と思っていたけれど

 

実は愛着を持ってしまうことに対して恐怖を覚えていたのかもしれない

 

 

何にも愛着を持たず、ふわふわと浮いていれば悲しみを享受することもない

 

そしてきっと喜びもない

 

 

傷だらけになれる人生の方が失うものも得るものも大きいのだろう

 

 

その覚悟を持って一瞬一瞬全力で大事な人と関われる人間になりたい

 

どれほど与えるこころが無駄になっても

強く優しい人間であれますように。

 

 

 

梶切り

 

 

 

 

自分の予想ほど信用できないものはない

 

去年と今年はそう思うことが幾度となくあった

 

人生何が起こるか全く分からない、の意味が少しずつ理解できるようになってきた

 

 

9月から就職先にインターンとして働き出すことになった

 

実際は正社員と同じ内容の業務であり、中途の方と入社式に参加する

 

これは私が望んだことである

 

 

遊ぶだけの生活は私にとって苦痛であると気がついたから

 

自分の気力と体力を何かに消費したい

 

つくづく目標を立てるということ、何かを目指して打ち込むことの大切さを見に染みて感じる

 

「◯日遊ぶから頑張ろう」とか短期的かつ具体的な目標もいいけれど

 

「こういう人間になりたい」「一年後こんな自分になっていたい」「将来こんなことがやりたい」といった長期的な目標を持つと心が潤う

 

 

 

一方で居心地の良い場所から抜け出して、新しい世界に踏み出すことは必ず摩擦が起きる

 

その摩擦熱こそが成長痛だと思う

 

今の私にはそれがなければ成長できない

 

一週間前まではバイトだって卒業までずっといるつもりだったのに

 

毎日顔を合わせていた人とぱったり会わなくなることは何度経験しても慣れない

 

 

心に丸い穴が開くような感覚がする

 

 

 

就活で自分は当たり前のことができないことを知った

 

できない自分に合う場所を探すことの大切さも知った

 

その場所が合っているかの答え合わせは実際に入るしかない

 

 

また違う不安を抱えている自分に笑ってしまう

 

 

私はずっと不安と共に生きていくみたいだ。

 

案外これも悪くないのかもしれない