遊備忘録

ここで泥を吐き出すことによって日常生活を保つことができます

淘汰

 

コロナが流行って約2年

 

大きな声では言えないが、私はコロナのおかげで得していることの方が多いように感じる

 

確かに旅行に行けなかったり、お店が早く閉まったりと不都合なこともあったけれど有難いことに個人的には大々的なダメージが生じなかった

 

今は比較的自由に動けるようになったことによってより利益だけ享受できているように感じる

 

 

無駄な飲み会は無くなったし、リモート授業は学校に行かなくていいし、就活だってわざわざ交通費を出さなくても面接が受けれることもある。今までの当たり前が塗り替えられ社会人になる頃には以前よりは少しでも効率的になっただろう

 

そして人間関係を考え直した人も非常に多いように感じる

 

かくいう私もその一人

 

久しぶりに会うからこそ○か×かの判断がしやすくなった

 

 

そして予想以上に私の人間関係は広く浅かったことを感じた

 

すべて刺激だと思って好きで付き合っていたけれど意外とそうでもなかったと感じる事が増えている

 

 

何も変わってないなあと悪い意味で感じてしまったり、昔は笑って過ごしていた冗談が笑えなくなっていたり

 

 

友人とは何かわからなくなってきた

 

 

少しわかったこととしては人をディスって笑いをとるタイプとは無理に付き合わなくていいということ、お互いに(←ここ重要)尊重し尊敬しあえる関係は大切にすることくらい

 

 

そう考えると私はめちゃくちゃ友達が少なかったのかもしれない

 

 

無意識に一線を貼る癖が抜けなくて、深入りしないで済む軽い関係を好んできたがその関係が今度はいらなくなってきたのだ

 

我儘だけれどそう思ってしまうのはもう仕方ない

 

 

有限の時間の中で誰に時間を割くかなんて最重要事項なのだから

 

 

というよりも有限の時間の中で友人関係で疲弊してしまうのはもったいない、という表現の方が正しい

 

 

この前も1年ぶりに会った友人たちと飲みに行き、高校のまま「お前は女じゃないしな」「こいつとは絶対にない」的なノリに久しぶりに味わった

 

 

うわ〜懐かし〜!という思いと同時に

いつまでそんな幼い笑いをしているのかとがっかりした

 

高校の時は友人として認められているような気がしていたからか全く嫌ではなかったが、4年前と今では訳が違う

 

 

そして今そのノリを味わってみると普通に不快だった

 

私は彼らなりの優しさも優秀さも好きで尊敬していたのに、私の価値何も分かってないじゃんなんて思ってしまった

 

上手な返し方が分からなくって、けどモヤッとした感情を抱えたまま昔と変わらず笑って過ごすことしか今の私にはできなかった

 

 

普通に楽しかったのだけど、家に着いた途端疲労感の方が強くなってしまった

 

きっと私の方が変わってしまったのだろう

 

これは自我が発達し過ぎた末路なのだろうか

 

 

けれど私の価値がわからない人間は私には必要ない

どれだけ相手が優秀であったとしてもね

 

自分が関わる人間は自分が決めるしかない

 

 

 

以前から友人関係で

私のその人に対する好き度と相手が私に対する好き度はだいぶ差がある

という事実を見て見ぬ振りをしていた

 

雑に扱われてもけど良い子だから、なんてざっくりした理由で直視する事を避けていたのだろう

 

 

こんなに私はあなたの事を考えて行動しているのに、なんて絶対に言えないけれど思ってしまうことも多々あった

 

単なるエゴの押し付けである

 

 

悲しい哉この癖は今でも治らない

 

だからこそ解決法は釣り合う人としか付き合わないということだけだ

 

 

SNSを開けば友人は多ければ多い方が良いように感じるし、狭く深くが良いなんていう意見もあるけれどその討論の中には友人が0人であるという事例は省かれている

 

削ぎ落とした最終形態は孤独を貫く道か、なんて考えるとやはりまだ今の私では恐怖を覚えてしまう

 

 

どんどん壁が分厚くなってきているけど大丈夫か?私


まあまだまだ新しい出逢いも沢山あるだろうしね

 

とにかく今は好きな人達をとびっきり大事にしよう